2014年10月14日火曜日

「メ」ノヨウナカタチ

なんとなく、
ふと
気がつくと、
目のような形に惹かれている自分がいる。


学生時代に出会ったポールランドの『IBM』。
このデザインは、いろいろな勇気を与えてくれた。
ダジャレでいいんだ!
「M」はなにも思いつかなかったけど、そのままでいいや!
などなど。



山下清は小学生時代に僕の美術の扉を開いてくれた。




岡本太郎の『座ることを拒否する椅子』。
この衝撃は大きかった。
コムデは真似?




同じく岡本太郎の『パイラ人』。
愛すべき存在。




我が師匠の田中一光。



目玉がなくても、田中一光が作る目のような船底型が美しすぎる。



そして、僕が信頼する編集者のN.A.氏が教えてくれた、
アランシルベスタインのサイクロープに出会った。


この時計は、目玉のような形の中に「時」が表示され、
それ自体が分針となる。
3時、6時、9時、12時、だけは、数字ではなく記号が表示される。
(上の写真は12時14分です。)



こんなにも僕好みの時計があったんだ、、、。


独立後まもなく出会った、大好きなプロデューサーが、アランシルベスタインの時計をつけていて、そのとき初めて見たそれは、あまりにも僕のツボだった。
いつかはアランの時計を買えるようになりたいと夢を見ながら、日々のデザインを頑張ってきた。
そして、目玉のフォルムと独特のギミックを備えたサイクロープに出会った。
サイクロープとは、神話に出てくる片目の鬼のことを言うそうです。




サイクロープ、買いました。




2013年10月11日金曜日

「シンショ」だけど「シンショ」じゃないかんじ

出版物カテゴリーの中で、
「妙なルール」の上に成り立っている特殊なジャンルがある。

『新書』である。

新書判と呼ばれる173×105mm程度の版型の本です。
岩波新書がそのはじまり。
文庫が古典や既刊本の再版である事に対して、
書き下ろしを中心として、現代人の教養を目的に作られた。

そんな新書の何が「妙なルール」なのかというと、
そのデザインにある。

タイトルごとに個性を出すのではなく、
同じフォーマットの展開をしている。
そのフォーマットデザインが出版社によって異なるのだが、
フォーマットの構造がほぼ同じなのです。
ベースになにかしらのフォルムが単色で配置され、
タイトルや著者の文字サイズや書体が決まっており、
文字数のキャパも決まっている。

シリーズ感をブランディングするには効果的であり、
数多く出版されれば、同じデザインが沢山並ぶので、
書店での見えも良い。
(その反面、内容を訴求することと、タイトルごとの差別化が難しく、
全体の8割程もある大きな帯を巻いたりなど、最近は無法地帯ぎみになっているのです。)

新書のデザインは、それらが出版社のイメージアイコンになっているケースも多く、
その重要性から、著名なデザイナーを積極的に起用している。

集英社新書:原研哉
光文社新書:アランチャン
平凡社新書:菊池信義
ちくま新書:間村俊一
講談社現代新書:中島英樹
幻冬舎新書:鈴木成一
ベスト新書:坂川栄司
などなど、
あげればきりがない。

私は、デザイナーとして仕事を始めた頃から、
いつの日にか、新書のデザインを手がけられるような、
デザイナーになりたいと願い、
いろんな人にその想いを言い続けていました。

そしてデザイナーを仕事としてから12年がすぎたころに、
小学館からその機会をいただくことができました。
田中一光デザイン室を卒業して独立後6年目のことでした。

大手ですが、新書界では最後発になるので、
遅れて出す意味を少しでも確立できれば良いなと思いながらデザインしました。

既存のものを大量に購入して研究を重ねる日々。

そこで見えてきたことがあります。
既存の新書デザインには、具体性を帯びたオブジェクトが少ない、ということ。
千変万化するタイトルを包む装丁なので、できる限り主張が無く、
意味を左右しないことが望ましいので、当然なのですが、
全社がそうなっているために、
何か妙なジャンルになってしまっている感想を持ちました。

その群れの中に、具体性を帯びたデザインを投入したいと強く思いました。

大勢の偉い方々に向けて、何度もプレゼンテーションを重ねて、
ようやく決定したのが、8月まで刊行されていた『小学館101新書』のデザインです。

版元イメージの最高峰だと思われる『ドラえもん』をモチーフに、
何でも取り出せるポケットのようなフォルムを作りました。
新書を表現するには最適な意味付けだと思いました。



「ドラえもんで作ったんだね」と喜んでくれる人は多く、
また「ドラえもんだとは気が付かなかった」といった意見も多く頂きました。
そのフラットな存在感に持ってこれたことは、
新書の装丁としては、OKなのではないでしょうか。

そして4年間、このデザインで200冊近い出版をすることができました。

それだけの数を作っていくと、
様々な問題点が出てきます。

一番大きな問題は、タイトルの「文字数」と「文字サイズ」の関係にあります。

そもそも新書のデザインは、タイトル部分のフォーマットを固定するものなのだが、
編集担当者が付けたいタイトルに対して、字数を制限したり、
内容のイメージとは異なるのに、決まった書体で組まなくてはならなかったり、、、、

さらにこのドラえもんデザインは大きな青い矩形が存在するので、
より窮屈に見えてしまいます。
この青色は、ドラえもんをイメージしている色なので、
新書にしては鮮やかな色を選んでいます。
その結果、深刻な内容のタイトルでも、
POPな印象を与えてしまうことになってしまいました。

いわゆる新書然とした部分が、どうにも許せなくなってきます。
とくに部数が伸び悩んでくると、
もっとタイトル文字を大きくして目立たせたくなってくるものです。

------------------------------------------
そして5周年を前にして、
デザインをリニューアルすることになりました。
------------------------------------------

数社のコンペ形式になりました。
もちろん私も参加させていただき、無事に勝ち取ることができました。

リニューアルに伴いシリーズ名が、
『小学館101新書』から『小学館新書』に変更になりました。
シンプルで堂々としていてとても好きです。


****


ここからは、新デザインの内容を記します。

さて、次はどのようなデザインが望ましいか、、、と悩んだ末、
造形的なことを追い求めるのではなく、
前述の「4年間で見えてきた欠点」をすべて補えるデザインを考えようと思いました。

その要素は大きく分けると以下です。

●タイトルの文字サイズと文字数は自由
●明朝体とゴシック体を使い分けられる
●テーマに合った色を使える
●これらを満たしながら、『小学館新書』というシリーズ感をきちんと出す。

なかなかの難問です。

そこで考案したのが『フレキシブルドット』と名付けたシステムです。
プレゼンで最初に見せた画像がこれです。




小さなドットが規則正しく並んでいます。
これがレイアウト台紙のような役目を果たします。

この上に、自由に文字をレイアウトするという、極めてシンプルな仕組みです。
文字が入るところのドットが消去されます。

そして、このような装丁になります。



タイトルが3文字であれば、大きなサイズでデザインできます。
しかも素晴らしいことに、縦組でも横組でも大丈夫な仕組みなのです。
文字が入るところはドットが無くなっています。
ドットの色を5色設定しました。
テーマによって選ぶことができます。




タイトルの文字数が多くても、このように美しく配置できます。




新書内シリーズのタイトルです。
全てが自由なのでこのような提案ができることになります。
文字デザインは自由ですが、小学館新書全体のシリース感は損なっておりません。





この2冊のように、ひとつのタイトル内で文字サイズを変えたり、
書体を混植することも可能です。
(明朝とゴシックのそれぞれのファミリー書体は決めています。)


***

新書でありながら、1冊1冊個性を持っているので、
通常の書籍のような印象を出すことができています。

そして、
ナノナノグラフィックスのデザイン理念を体現できている作品になったと感じています。

ナノナノグラフィックスが10期目を終えて、
新たな時代を迎えるための良い推進力になってくれるお仕事です。

ただ、このデザインの唯一の欠点は、
私の作業が毎回とっても大変になってしまった、ということですw。

ですが、時間をかけてもスッキリしなかった旧デザインよりも、
確実にそれぞれの答えが見つかる新デザインの方が、
大変だけどすごく楽しいのです。

皆さん、書店でお見かけの際には是非手にとて見て下さい。



2012年5月5日土曜日

その場所にあるはずのないもの

僕の好きな映画ランキング1位は『The Piano』。
邦題は『ピアノ・レッスン』。
浜辺に置かれたピアノの姿にノックアウトされた。


湿気で音階がおかしくならないのかな?
砂埃が飛んできたら、鍵盤を押すときにジャシって言うだろうな?
などなどの庶民的な心配をする暇もなく、
このルックスの虜になった。

その場所にあるはずのないものが、存在するときの高揚感は、
未来的である。

これは、いつも僕が言っている「対比」とは少し違う。
対比は対峙する両者の違いを、より浮き彫りにすることで、
新たな表現を生むことですが、
この場合は、砂浜とピアノの対比ではなく、
ピアノという精密機器の禁止事項に対する誘惑のようなもなのかな。

17年程前のフジテレビに「JOCX-MIDNIGHT」という深夜枠があって、
いつも実験的な番組にチャレンジしていた。
『カルトQ』とか『カノッサの屈辱』とかがそうです。
その枠にはシーズンごとにキャッチフレーズが付くのですが、
その中に『音楽美学』というものがあった。
このときのスポット映像がすごくて、
ロープで縛られたピアノが森の空中に吊るされていて、
徐々にロープがほどけて落下するという、意味不明なものでした。
それが大好きでたまらなかった。
確実に使い方を間違っている、禁止事項の大様みたいな映像。

『The Piano』も『音楽美学』も、
ピアノという「意味の質量が大きな物体」がモチーフなので、
否応無しに物語性を放ってしまい、
面白さを刺激しているのだけれど、
禁止事項が生み出すエンターテイメント性に興味があるのです。

そもそも禁止されていることには、楽しそうなものが多い。

・電車の窓から顔や手を出してはいけません。
これって、
「顔や手をだしたらすっごく気持ち良くて楽しくて、
カナブンとか小鳥とかがもしかしたら触れてくるかもね。」って聞こえる。

・混ぜるな危険
これって、
「強力な2種類の洗剤どうしを混ぜ合わせたら、
この世の物とは思えないほど汚れが良く落ちる洗剤が完成してしまい、
お皿の絵柄まで落としちゃったりして、食器業界から総スカンをくらうからやめてね。」って聞こえる。

僕って頭がおかしいのかも、、、、。



僕の好きな映画ランキング第2位『Back to the Future 123』
(2位というのは嘘です。話の流れ的にそうしました。)
言わずと知れた傑作中の傑作です。
普通の人は1か2が好きなのですが、僕は3が大好きです。
当然、前作が面白いから3が面白い訳でして、単独で評価は出来ないのですが、
ものすごく好きなシーンがありまして、、、。


荒い写真で申し訳ないのですが、
デロリアンを馬に引かせているんです。
タイムマシンを馬にですyo。

このパラドクスが未来的でそそられます。

まさに「馬力」?
馬車の原点回帰ですね。
浜辺のピアノと同様に、
その場所にあるはずのないものが、存在するときの高揚感です。
これも「対比」とはちがうんですね。
禁止事項的ではあるかな?
この映画は123全て、現代へ帰るための努力の中に、
「その場所にあるはずのないものが、存在するときの高揚感」が必ずあるんですね。


僕の脳内フィルター越しに判断しているので、
積極的に解釈しがちなので共感を得られないかもしれませんが、
外人が箸を使っている姿を見るだけでも、
同じような高揚感を感じてしまい、未来的だとさえ思ってしまうのです。
(多分、ブレードランナーのデッカードが屋台で使っていたせいで、
そう思うようになった気がします。)


2011年12月27日火曜日

タイヒ・ト・リレキ

JRというアーティストの作品集を買った。
ずっと気になっていた人で、ようやく作品集に出会えた。
『WOMEN ARE HEROES』というプロジェクトを本にまとめたものです。

『WOMEN ARE HEROES』はこんな本です

男性優位の社会で虐げられる女性達の現状を伝えるため、
女性達にインタビューとポートレート撮影を行い、
町の壁や屋根に巨大ポートレートを貼付けるプロジェクトを続けている。
そのメディアは列車のボディ、橋、自動車、道路、階段など多岐にわたる。
このプロジェクトは参加可能型であり、
女性はモデルを務め、子ども達はグラフィティの貼付けをして参加する。
スラム街や紛争地域などで活動する事で、
虐げられた人々の強いメッセージを伝えている。


この作品がわりと有名ですね。
初めて見たときにすごすぎて絶句しました。
スラムの屋根にポートレートを貼っています。


これなんかも最高にクール!
もうむちゃくちゃにすごい。

この作品集は、女性のインタビューと、もとになったポートレートと、
それを使った作品をセットで見る事ができる。

インタビューとポートレート
そのポートレートをプールの底にはりつけた作品。
これもそうとうカッコいい。
アートブックとしてもかなり面白い。

今までも沢山このようなメッセージアートはあった。
すごく気の利いたものや、考えさせる工夫が施されているもの、
なんだかんだでこのジャンルには豊富な表現がある。
でも、ろくでもないものばかりが目に付く。
例えば、最近ちょいちょい見かける動物愛護団体のヌードなんかは、
全然共感できないし魅力的じゃない。
裸なのでそりゃ目を引くけど、僕には露出狂にしか見えない。

闘牛反対!を裸で訴えてみました。

裸で牛の形を作って抗議!血も出てるよ!
僕は動物が大好きで、理不尽な扱いから救いたいと常に思っているけど、
闘牛のように歴史と文化のなかで育まれたことに対しては、意見を持たないようにしている。
そこには否定できない価値が詰っていて、
それはまぎれもなく人類の財産だからです。
(人の都合でものを語るなと言われると思うけど、、、)

この『WOMEN ARE HEROS』は「人」を救うために「人」が行っている抗議です。
「対象が動物じゃなくて人なら肯定するのか?」と言われそうですが、
「人」の場合は、「裸で寝転がって絵を描いてみました」的な
上から目線のユーモア(語弊があると思うけどあえて言います)が通用しないのです。
とてつもなくデリケートで、ひとつ間違えると、
守りたい対象を深く傷つけてしまう。

『WOMEN ARE HEROS』はすばらしい。

直接人が騒がず、無言のまま、アートのインパクトで感じさせる。
下手すると殺されかねない政府手つかずのヤバい地域にとけ込むところから始めて、
結果的に住人総出でアートを作り上げている。

大都市の路上で警察に許可をもらって裸で寝転がるのとは訳が違う。
しかも、見た事の無い光景を見せてくれる。
僕が大好きな『クリスト』のような感動がセットで付いてくる。

クリスト『包まれたライヒスターグ』ベルリン
***

僕が考える「これからの表現」として大切な要素は、
以前このブログでも触れている「対比履歴」。
闇雲に新しい物を生み出すのではなく、
「関係性」を見えるものに昇華していく行為が求められていると思う。

『WOMEN ARE HEROS』には、対比と履歴の両方がある。
ボロボロの町並みや、密林の集落に突然現れるモノクロの巨大な人の顔。
ものすごいミスマッチが、ものすごい衝撃的な対比構造を生んでいる。
しかも巨大なので、だれも無視できないルックスになっている。
そして、その作品はそのまま放置されて、自然に老朽化し、朽ち果てて行く。



こんな感じでぼろぼろになってもそのまま。
抗議なので、できるだけ長く掲示することが大切であり、また、
住人たちの手で作られているので、誰も不快に思っていない。
むしろ誇りに思っている。そのことも抗議の強さに繋がっている。

まさに「履歴」が表現に昇華されているのです。

とてもしっかり完成された抗議のスキームなのだと思ってしまう。



作品集の表紙にもなっているこの作品がたくさんのことを物語っている。

お買い求めはONSUNDAYSで。

2011年9月20日火曜日

ヨックモック的クリエイティヴィティ

ヨックモックの缶、うちの実家には沢山ある。
うちのクライアントさんのオフィスにもあった。
兄の家にもある。
僕の師匠の家にもあった。

ほぼ全員が、名刺やハガキの整理箱にしている。
ほかにもいろいろなお菓子の入れ物が、同じような再利用をされているが、
ヨックモックがダントツに多いような気がする。

なんとなくサイズ感が良いのだろうか。

本来の役目を終えてからも使い続けられるモノって、素晴らしいんじゃないかと、
常々思っている。
逆に言うと、それを意識した物作りが21世紀的プロダクトなのではないだろうか。

それを模索する映画が『ブッシュマン』ですね。
あのコーラの瓶、最高です。

****

小学生の頃、牛乳パックを沢山集めていた。
それは、ロボットを作るため。
程よい数がたまるたびに、巨大ロボが完成する。
今思えば、厚紙とかでも作れたのに、わざわざ牛乳パックがたまるのを待っていた。
はじめから成立している牛乳パックの直方体の姿に、
ロボットのパーツを見出していたのだろう。
リアルに作り込むよりも、牛乳パック感が残るところに面白みがある。

プラモデルも沢山作っていたけれども、
牛乳パックには何とも言えないロマンがあった。

トランスフォーマーなんかを見ても、
もとの自動車のデザインが残っているからこそカッコいい。


このもとが解る感じ、かなり大事なポイントのような気がする。

例えば古紙とか、ペットボトルウールとかに代表される、
もとをわからなくして新しい何かに作り替える類いの物にはない
面白さと可能性を感じる。

***

先日、仲のいい編集者のO.Y.さんが、打ち合わせのときにMacBookAirを出して、
起動させるのかと思いきや、パカッとふたを開けたら、
そこにはA4サイズの書類が沢山挟まっていた。
すげーーー!バインダーにしちゃってる。パソコンなのに。
しかも打ち合わせ中、一度も起動せず、
紙の書類をまたもとのようにMacBookAirに挟み込んで鞄へおさまっていった。
完全にバインダーの役目だけでした。
MacBookAirのボディ素材は飛行機に使うくらいの剛性があるので、
絶対に折り曲げたくない重要書類を挟むにはうってつけですね。
火にも強そうだし。

「大火事に見舞われてもこの書類だけは無傷だったよ、
パソコンは動かなくなっちゃったけどね。」

ということがおきたりすると、鳥肌もんのパラドックスです。

また、別な人の話ですが、iPadをノートに挟んで下敷きにしている人もいました。
メモ機能満載のハイテクマシーンを下敷きにして紙に鉛筆でメモを取る。
すごいパラドックス。
でも素敵!!

***

話を最初に戻しますが、
ヨックモックとコクヨとかが手を組んで、
サイズがちょうど良くできている「名刺入れになるお菓子の缶」を
始めから設計してつくるのはどうだろうか?
と想像してみると、、、

いや、、、、つまらない。

そう設えちゃうと、可能性が無くなっちゃいますね。

この二次的利用は、設定されていないことが重要です。
好きにしてね!というスタンスが発明を生むんですね!

***

気をつけなくてはいけないのは、
ただ単純に再利用すれば良いってものでもなくて、
相応しいかどうかの判断は大切です。
先日訪れた鴨川の食道では、お冷やがカップ酒の空きカップで出て来た。
さすがにこれは引きました、、、。


2011年8月20日土曜日

イッソノコト・イッショクデ・イットク?

「青い空」といっても、青だけでできているわけではない。
けっこう複雑な色が絡み合って、自然な空が作られる。
「青い海」も、
「緑の山」も、
「真っ赤な夕日」も、
ほんとは複雑な色彩構成を持っている。

青い空が、本当に青1色だったらヤバイです。
まったく「抜け」を感じないと思うし、
重たいし、閉塞感満点で、絶望感すら感じるかも。

緑の山も、本当に緑1色だったらヤバいです。
自然物には見えないでしょう。


ちょうどこの「中国雲南省の禿げ山緑化計画」みたいな感じになってしまう。
ちなみにこの塗装に日本円で600万円もかけたそうです。

***

人工的な物でも、1色で作られている物は少ない。
というよりも無いかもしれない。
ほぼ全体が1色でできていても、
どこかしらにロゴマークやタグなんかが存在する。

完全に1色だけでできている物を見ると、
なんとなく未完成品のように思えてくる。
例えば、白1色だったら、それは塗装前の状態に見える。
ビビットな色だったとしても、1色であれば、金型成形しただけの素体に見える。
これから仕上げ作業に入のるだろうと、予測します。

目に飛び込む色数は、
ある物を、完成品として認識するための無意識的判断基準になっている一面がある。

ということは、
1色のみで作られている物が日常生活の中に存在すると、
違和感を感じるはず。
出荷される前の物のように見えるはずだから。

そして、その固定観念を刺激すると、結構面白い。





この青いボートは「ora-ito」というアーティストの作品。
通常、世の中に存在する物は、自然物、人工物問わず、
これだけの範囲を1色で構成されているものには、なかなか出会えない。
(計器の白が惜しい。)

この違和感がたまらなく面白いですねえええ。
青いハンドルを初めて見た。
固定観念を裏切ってくれている。

僕が興味をそそられるのは、
このように、1色にしてしまうだけでアートになってしまう可能性が
芽生えるということ。


これはとある雑誌に掲載されていたアート。
こんな風に、緑一色で塗っちゃっても、かなり奥深いアートになりうる。
花、肌、髪の毛の色相差の剥奪が面白いと思える。



これは、うちのオフィスにあるオブジェ。
本をそのまま型取りした石膏製。
某有名インテリアデザイナーの照明作品用のスタディだったものを、
友人からいただいた。
本物の「本」を型取りしているだけあって、
形は超リアル。それでいて白1色。
この違和感が面白い。こんなにリアルなのに虚なのです。

これは存在認識上のギャップであり、
古くから概念としては存在していたことです。
それをわかり易く視覚的に表現してくれる人が
あまりいなかっただけのこと。

この1色化という行為は、
誰もが一度は考えてみたことがあると思います。
本質的に面白くて新しさを生み出す行為は、
古い概念である場合が多い。
そこが奥深い。

***

ちょっと意味合いが違ってくるのですが、
既に流通している物を、1色化して違う需要を生み出しているケースをご紹介。
例えばこれ、

HUBLOT(ウブロ)のオールグリーン、オールブルー、オールブラック。
ビッグバンというシリーズを1色化したもの。
かなりカッコいいです。
1色じゃない元のデザインを知っていれば、面白さは倍増します。


これが普通のビッグバン(いろいろなタイプがあります)。

***

ためしに、こんなのもいいかも。
ゴレンジャー・オールブラック

そしてゴレンジャー・オールブルー

さたにゴレンジャー・オールレッド

実在できたら、
けっこうシュールで面白いと思う。
個々の名前はどうしよう、、、赤レンジャーとか黄レンジャーとか意味ないし。


2011年8月10日水曜日

fractale 外苑西通り編(5・終)

千葉に戻った僕と、
母との二人暮らしが始まった。
正確には小柴さんと三人暮らしなのだが、
彼は、ほとんど家にいなかった。
母は父と結ばれたときからすべてを理解しており、
僕を育て上げることが使命になっている。

父は、千葉には二度と戻らなかった。

「25年後のために動き出します。」
小柴さんはそう告げて、世界中を飛び回っていた。
年に1度くらいの間隔で会うことが出来た程度。

25年後に何かが起きる。
そのときのために僕は生まれたのだ。

***

ぼくは中学を卒業し、高校を卒業し、大学を卒業し、
傍目には、いたって普通に育っていった。

龍蛇族と人間の子である自分の運命を受けとめている僕は、
高校に入ったときから、自分なりの準備をしてきた。

治癒能力を鍛える努力をした。
年に数回、死に直面するようなダメージを自らに科した。

5人の同志もできた。
僕の治癒能力に魅せられ、このお伽噺のようなことを信じてくれた。
僕の鍛錬のサポートをしてくれる。

この5人は僕と同じ大学へ進み、
同じ会社へ就職した、
外苑西通りの会社に。

全ては小柴さんの指示。
就職した会社も小柴さんの会社だ。
その後、5人で独立し、
外苑西通り沿いにオフィスを構えた。
小柴さんの代わりにある準備を進めるために。

***

小柴さんは、
岐阜県飛騨市神岡町に、ニュートリノ(中性微子)を検出する
巨大な地下装置を作った。
表向きは物理学研究だが、このニュートリノこそが、
龍蛇族のエネルギーになる。

ニュートリノを検出するためにはチェフレンコフ放射を使う。
チェフレンコフ放射とは、荷電粒子が物質中を運動する時、
荷電粒子の速度がその物質中の光速度よりも速い場合に光が出る現象である。
そのチェフレンコフ放射を手のひら程の大きさの装置で発生させられる発明を、
小柴さんは秘密裏に成し遂げていた。
一見、金属のボールにしか見えない装置で。

このことにより、どのような場所でも条件が合えば、ニュートリノを検出できる。
しかも、この装置によるチェフレンコフ放射は、
人の脳波に狂いを生じさせることが実証されていた。

もし、このことが発表されたら、人類の進む方向を変えてしまう程の発明だ。

この装置に、僕(龍蛇族と人間の子)の治癒時にでる波動を加えると、
一瞬ではあるが、人の脳をハッキングしたような状態にすることが出来る。
これも長い研究の末に開発された技術だ。
チェフレンコフ放射はニュートリノ以外にも、
人間が発する「気」を検出することが出来るため、
個人を特定してハッキングすることが出来る。

これを僕が意のままに操るための研究を、5人の仲間と進めていたのだ。

***

そして現在、2011年3月8日、
先ほどの東京食品販売国民健康保険組合本部前での爆破事件が起こることは、
前もって小柴さんから知らされており、対応することが出来た。
フェラーリから救った男のことは、僕は知らない。
小柴さんから助けるように指示されただけだった。
爆破を実行した相手が何者なのかも知らない。

そして、今は、有栖川公園の地下にいる。
助けた男はずっと気絶したままだ。

***

有栖川宮熾仁親王騎馬像の台座下の階段を30メートルほど下っただろうか、、、
小学校の体育館程もある基地のような空間が現れた。
幾重にもガラスの壁で仕切られており、
飛行機のコクピットのようなブースが20ヶ所ほど見受けられる。
コンピュータが動く音はするが、人の気配はすくない。
僕が認識できた人数は12人。
奇妙なバランスだ。

床から5メートルくらいの高さにキャットウォークが巡らされており、
全ての場所を俯瞰できる。

体育館のようなアーチ型の天井は、全てがスクリーンになっていて、
いくつもの監視画像、レーダー、何かをカウントしているような数字の群れが、
踊っている。

「ここは警視庁公安部テロ対策本部です、フラクタル」
隊長が言った。

警視庁公安部、、、、
そう言えば、25年前の出雲大社で小柴さんから聞かされたこと、、、
思い出した。

「隊長、ここは龍蛇族の基地ということですか?」

「はい、あなたのための場所でもあります。」

「僕のための?」

「フラクタルたちをサポートする施設と思って下さい。」

「たち?」

「あなたと同じ能力をもつ同志がまだ他にもいます。
その一人は、今、ここへ向っています。」

「そうなのか、、僕だけじゃないんだ」
「それから、まだ、、、、僕は何をすれば良いのか理解していません。」

「すぐにその時が来ます、、焦ることはないです。」


僕は興味深く基地内を見渡し、2分程の沈黙が過ぎたときだった、


突然サイレンが鳴り響く
レーダーが何かを察知した
あらゆる端末の画面には緊急事態を告げるアラートが表示され、
危機レベルが最高値の7であることを告げている。

数秒後、激しい揺れが基地を襲った!

有栖川公園内にある東京都立中央図書館にミサイルが打ち込まれたのだ。

見るも無惨に瓦礫と化したその姿を巨大モニターで見つめる僕ら、、、

大量の書籍が爆風とともに砕け散り、天高く文学の破片が舞っている、
まるで歌舞伎の紙雪のように、、、、
瓦礫は燃え盛る炎に包まれ、そこへヒラヒラと、
書籍の本文用紙が身を投げていく、、、。

その紙雪のなかに一人の男が、、、、

その男は我々の監視カメラの位置を把握しており、
鋭い視線を送っている、、

僕らは男に睨みをきかされているような感覚、

周囲と比較した感じでは、190cmほどはある大男だ。
だが細身であり、黒いマントをはおっている。
男の後ろにはBMW 320i touringが停まっている。男の車だと思われる。
BMW320iは前後配重が50:50という理想のバランスを持ち、
4気筒エンジンは小型故に前輪よりも中心側に設置されている。
つまり、FRにしてミッドシップのような走りを実現している。


「隊長、監視カメラが動かせません、画像も切り替えることが出来ません。」
何者かによて、基地の監視システムとレーダーがハッキングされた。
間違いなく瓦礫の中に立つ男の仕業だ。

男が語り始めた、、、

「私の名前は、柊栄一郎(ひいらぎ・えいいちろう)。
ここの地下に集う龍蛇族へ告げる。君たちは癌だ!
我々は龍蛇族を排除し日本を救う。」


なんということだ、これが小柴さんの言っていた25年後の危機なのか?


僕らに宣戦布告をし、柊は映像から消えた、、、。


しばらくして基地内の監視システムとレーダーのコントロールを取り戻した。
すると、すぐにサイレンが鳴り響いた。
映し出された映像を見て、全員が言葉を失った。

東京湾海上の「海ほたる」にミサイルが打ち込まれた、、、。


そしてほぼ同時に基地スタッフが何かの情報をキャッチした、、、
「隊長、国会議事堂と首相官邸が自衛隊に占拠されました。」



つづく

外苑西通り編(完)
次回は新章のスタートです

この物語はフィクションであり、登場人物、地名は全て架空のものです。